風化させてはならない3.11【my view】

2017.03.11

3.11(東日本大震災)。
 
私にとって、
1.17(阪神淡路大震災)と同じく、風化させてはならない出来事。
 
人生で2度も大震災に巻き込まれるとは思っていませんでした。
 
3.11の時、私は成田空港にいました。
 
空港が崩壊するのではないかと思うくらい、建物と建物との継ぎ目が閉じたり開いたりして、3階にいた私は、「1Fに落下するのではないか?」と凄まじい恐怖が襲ったきたのことを覚えています。結局、飛行機は飛び立たず、救援用の毛布にくるまりながら、空港2階の発着ロビーの片隅で一晩過ごすことになりました。
 
余震が何度も発生していましたので、空港のビルが崩壊しないか、不安と恐怖でとても眠れたものではありませんでした。私は、1.17の時にトラウマになるくらい、夜が安心して眠れない体験をしていますので、たぶん、普通の人よりは敏感なのかもしれません。
 
 
1.17の時、私は大学4年生でした。
 
前日は、久しぶりに神戸の三宮で友達と遅くまで飲んでいました。
 
寝付いたのは、夜中の1時過ぎ。
 
深い眠りについた時だと思います。
 
ワケの分からない轟音ととともに身体全体に「どーん」という重みを感じました。
 
震災が発生したのは、早朝の5時46分。
最初は寝ぼけていて、夢を見たのかと思いました。
 
気がつくと、300冊以上ぎっしり詰め込んだ高さ2m近い本棚がベッドの真上に倒れていました。
頭を逆にして寝ていたらと思うとゾッとします。
 
当時住んでいた4階建ての鉄筋コンクリート製のマンションは倒壊は免れましたが、天井が崩れるか床が抜け落ちるかどちらかが先か?というくらいの尋常ではない揺れを感じました。
 
 
 
マグニチュード7.3。 震源地は淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)。
私は、震源地の垂水区に住んでいたのです。
 
家の中はぐちゃぐちゃ。
近くのコンビニをのぞいてみると、店員もいないし、食べ物も飲みものもスッカラカン。
完全に断水し、トイレも水を流せない。ガスは当然のように使えず。
 
自転車で大学に行くと、休講の張り紙(当然だよな。。。)。
 
隣には、震災ボランティアの募集の張り紙。
 
自分のことで本当は精一杯だったけど、もっと苦しんでいる方々がいるだろうと、大学で救援物資の仕分けや搬送などの震災ボランティアをやることに決めました。友達とも連絡が取れず、皆の無事を案じながらの活動でしたが、そのうち、口伝えに友達や先輩の無事が確認されるとほっとしました(携帯がなかったんだなあ)。
 
他方で、身内に亡くなった方はいませんでしたが、知っている何名かが新聞の死亡者欄に掲載されていたのを見て、ショックを受けました。大学はテニス部で他大学と対抗戦をしたりしていましたが、対戦相手だった人が亡くなっているのを知った時愕然としました。
 
3ヶ月後に、初めて神戸の街を徘徊しましたが、戦争が起こったのか?というくらい悲惨な焼け野原が目の前に広がっていました。震災直後は、生きるのに必至だったので、涙も出ませんでしたが、この時、変わり果てた神戸の街並みを見て初めて止めどなく涙が溢れ出てきたのを覚えています。
 
 
私は、無念にも、
この世を去られてしまった方々のことを考えずにはいられませんでした。
 
同時に、
 
自分が偶然にも助かったことの意味を深く考えました。
 
 
この時誓ったことは、
 
「残された自分の命を大切に使おう」
 
そして、
 
「少しでも世の中の役に立てるような生き方をしよう。」と。
 
 
その後、私は、大学を卒業し、紆余曲折を経て、JICAに就職し、途上国の貧困削減のため、人材育成や組織開発に従事しました。JICAでは、貧困削減だけなく、洪水やサイクロンなどの自然災害に対する協力事業も担当しました。多くの学校児童がサイクロンや洪水の被害から逃れることができました。
 
被災した当時に誓った思いは、少しは実現させることができたのです。
 
 
3.11の時には、自分ではまだまだ十分ではなかったと思っていますが、それでも、3.11の出来事を風化させないよう、この出来事からの教訓を少しでも世界に発信していくため、2013年3月にベルギーの首都ブリュッセルで国際シンポジウムを開催することができました。
 
 
風化させてしまうことの恐ろしさは、
多くの方々が犠牲となった教訓を無駄にしてしまうことでもあると、私は思っています。
 
 
風化させずに、語り継がれていくことで、当時は気がつかなかった大切なことに気がついたりもします。
 
私も当時を思い出すことで、改めて当時自分が誓った思いを振り返ることができています。
 
 
命の尊さ。 絆の大切さ。 家族や仲間の大切さ。 今自分が享受している全ての有り難さ。。。
 
 
どんなかたちでも良いと思うのです。
 
 
自分ができる範囲で関わっていければ。
 
 
それが、少しづつ将来の発展に繋がって、「希望のバトン」となって受け継がれていくと思います。
 
 
 
 
  写真は、私が最も尊敬する親友の一人で著名な写真家の平林克己氏が撮影。
  平林氏のHPはこちら。 ↓ ↓ ↓
  http://web-ktm.sakura.ne.jp/album/index.html